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>そういうわけで、
……そういうわけで、彼はスキマに住みはじめた。
そもそも、スキマに住むことにはデメリットが多い。風通しは悪い。日当たりも悪い。細長い敷地のために動きにくい。人とすれ違うのにもままならない。
浮浪者だったら、環境のいい上野公園のブルーシートハウスにすむだろう。
移民だったら、池袋の合法的な3畳間を3人で借りた方がいい。
でも、彼は、スキマに住むべき理由があった。そこでなければならなかった。とにかく彼はスキマに住み始めたわけだし、それにはちゃんとした理由がある、
きっと。
>スキマに住むことの理由
スキマ住居が実現するとするならば(それは社会的なニーズが発生するっていうことだが)およそ考えられる理由はネガティブなもので、そこに住んでいる人がいるとしたら、社会的にのっぴきならない状況にある場合が多いだろう。浮浪者? 移民? 隠遁者? 変わり者?
一般的に考えられるのは、こういう人々。平たくいえば、みんな「仕方なくすんでいる」。
彼も、きっと特殊な状況にあるのだろう。やはり、仕方なく隙間に住んでいるのか。それとも、より積極的な意図を持ってそこにいるのか。今のところ、わからない。
>スキマ建築を設計する建築家
建築家にとっては、スキマの家を描くというのは、ちょっと変わった行為だ。
エレベーションは、一枚描くだけでいい。普通、都市のなかの空間を描こうとすれば、それは三次元なので、少なくとも三枚は必要だ。あえてエレベーションを描こうとするならば、それは両脇の建物の外壁を描くことになる。
断面も、一方向で十分だ。長手方向の断面を描けば、その空間に関するほぼすべての情報は網羅することができる。だから、この家の図面は、エレベーション一枚と断面一枚の二枚、ということになる。
しかし、それさえ描くことができるのは、日本の都市だけかもしれない。ここは、スキマを図面化できる希有な街なのだ。
欧米には、スキマという概念が希薄だ。建物も、びっしり建ち、スキマはあるにしても猫さえ通れない場合が多い。まさに、敷地境界線が、線的に存在しているだけだ。
イスラムにいたっては、スキマどころか境界さえない。隣の家の外壁が我が家の内壁になっている。そうやって増築をしてゆくので、結果としてモロッコのフェズに代表されるような迷路の街ができあがる。彼らには、スキマという概念がないのだ。
しかし、日本の都市にはスキマがはっきりある。それは、社会性のあかしだったり、隣人への気づかいであったり、人との距離感というかたちで存在している。
彼は、そこにに入り込もうとしている。それはスキマの無化なのか、顕在化なのか。
>スキマの軋轢
スキマは、あらゆることが特殊である。
スキマに住もうという行為は、きっとさまざまな軋轢を社会と生むだろう。
だからこそ、彼は、ちゃんと隙間に住みたかった。社会にも認知して欲しかった。
郵便も届いて欲しいし、住所も欲しいし、住民票も欲しい。
でも、そこがスキマである限り、そのあらゆることが難しい。
そこに家をつくり、そこに住む彼は、その可能性、不可能性、ニーズ、問題点、制度、環境、そして巻き起こる物語を綿密に想像し、解決してゆかなければならない。
スキマに住むという行為は、結局は、こういう複雑な事象と向き合うということだ。
>東京スキマ計画 彼は、今後さまざまなスキマに入り込み、さまざまなスキマと向き合うことになる。
ビルのスキマ、制度のスキマ、人間関係のスキマ、ネットのスキマ……。
そして、まずコマンドNの本棚のスキマに、雑誌[A]のスキマとして滑り込んだ。
7月25日に発売された[A]8号と、10月25日に発売される[A]9号、この2号は、本来「東京計画#1〜#2」というかたちで連続するはずだった。そこに彼は、スキマプロジェクトを挿入した。
「東京スキマ計画」
それは、一冊だけ発行された雑誌[A]8.5号。
A activity
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