
pam-pam@スキマ・プロジェクト
室蘭工業大学山田研究室+植田暁
■都市のすきまという必然
私たちがごく日常に見かける都市のすきまとはなんだろう。それは土地の無駄遣いな
のだろうか? エアコンの室外機の配置、換気扇の排気、トイレの換気をするためだ
けにあるのだろうか? 浮浪者やごみのたまり場になるだけの、本当にネガティヴな
空間なのだろうか?
都市のすきまにネガティヴな要因があるとしても、それは単に建物の内部から派生す
る計画のみで思考され、その外側で発生してしまった残余地であることにすぎない。
中村政人氏のスキマに関する電車の例え話(BT0008)から検討を始めてみよう。確か
に日本の都市生活者は<周囲の密着している人と微妙にスキマをあけてバランスを取
る>。しかしそれが如何に神業的であっても実は、隣り合った人、モノがお互いに干
渉をしないために、大変な無理が強いられていることに代わりはない。そこまでして
も<スキマの開け方>という<ルール>には、価値があるのだろう。つまり私たちは
スキマの存在に依存し、そこに生み出される環境を享受している。
都市の残余地も、この電車の中のスキマと、実は同質である。人と人、人とモノ、モ
ノとモノがそこに存在するための前提として、緩衝剤のように存在するのがスキマだ
といえる。そして私たちは、隙間がスキマであるための論理、或いはスキマを積極的
に受け入れるための/受け入れざるを得ない論理の構築を促されている。

■スキマの定義
では都市のスキマそのものは、どのように定義づけられるのだろう。
都市空間に存在する隙間を、日本的特徴の現れとしてひもとくことはできる。しかし
一方でそれは、あるグローバルな思考のパターンが、都市に立ち現れたのだというこ
ともできる。この思考のパターンとは、切り取って与えられた、ある特定の領域の内
側のみを、綿密に作り上げるという思考パターンだ。それは箱庭的な思考と呼んでも
構わないかもしれない。近代的な思考とも呼ぶこともできる。思考と思考が出合うと
き、スキマは果てしない断絶を約束している。その間の噛み合わせの悪い部分が、ス
キマとして都市空間に立ち現れている。
それは<計画することすら、最初から意識されていない空間>だ。建物は、あたかも
箱庭のごとく無関係に漂っている。スキマとは、いかにささやかな隙間であっても、
常に内側の思考によって取り残されてしまったものなのだろう。

■関係性の密度
すでに都市空間は物理的隙間を縫うように都市は構築されてきた。これからも構築さ
れ続けるであろうことは、容易に想像が付く。しかしその都度、また新たなスキマが
生み出されていることにも、私たちは気が付いている。都市空間の物理的密度が充実
しても、それとは違う何かが希薄だ。
都市の密度といった場合、実は二通りの密度がある。第一に物理的な密度。第二に関
係性の密度。私たちがここで着目するのは、物理的濃密さと同時に見いだすことので
きる関係性の密度の希薄さ、なさである。
何らかの形で、この関係性の密度を上げる。ただしそのためには、建築的なプロジェ
クトを新たに挿入するといった操作を加えることでは不可能であろう。或いは建築と
いう境界を、広げることによって、可能となるのかもしれない。空間の有効利用を図
る等の発想では、隙間を細分化するに過ぎないからだ。そのプロジェクト自体が、緩
衝剤として新たなスキマを必要とする。そしてそれはプロジェクトに対する思考であっ
て、スキマに対する思考ではない。

■隙間がスキマであること
私たちがスキマ・プロジェクトに於いて提案するのは、外部環境に対するインスタレー
ション<pam-pam>である。それは隙間がスキマである状況を前提とし、隙間の中に
スキマを埋め込む。このスキマと関係する全ての都市や建物の、あらゆる残余地、開
口部が意味を持ち始める。
例えば、特定のスケールを持った空間、特定の建築様式、特定の色彩や素材など、物
理的類型学的な隙間の調査から得られる特性によっては、<pam-pam>は成立しえな
い。
<pam-pam>は、都市の中で思考されないまま立ち現れたスキマ、他者同士の距離を
確保するために存在しているスキマに於いて成立する。そこで可視化されるスキマは、
一目して隙間然として存在している空間以外にも存在する。普段利用されない建物の
屋上、塀に閉ざされた空き地、マンションの外構、既に本来の用途を失った銭湯の煙
突にも、実は同質のスキマが存在している。
スキマに共通するのは、緩衝剤的役割である。それを力学的比喩で語るならば、他者
同士の距離を確保させようとする力だ。例えば二つの磁石の同極を近づけると、双方
を排除しようと反力が働く。都市のスキマとは、そのような力の生み出すテンション
に似ていなくもない。

■pam-pamとテンション
<pam-pam>が生み出すスキマの素材は、球形のバルーン、鏡、そして光である。こ
れらのエレメントは本来、軽やかに漂い、実体を持たないものだ。
今にも割れんばかりに張ったバルーンは、その中身も空気だ。外部と内部との関係が、
皮膜の緊張感によってのみ維持されている。<pam-pam>に登場するバルーンは、ど
れ一つとして元の形態を保ってはいない。壁と壁の間に押し込まれ、扁平に変形して
いる。何通りかの色があるその内部には、ライトが仕込まれており、壁面や他のバルー
ンを照らしている。私たちはスキマに入り込み、バルーンを見上げ、バルーンをくぐ
る(ごく希に割れるかもしれない)。またこの隙間に入り込む人は、自らの手(息)
でバルーンを膨らませることができる。私たちの手によって隙間の中のスキマは、常
にその姿を変える。
鏡はスキマに向かい合わせ、或いはずれた形で配置される。壁を写し込み、バルーン
を写し込み、鑑賞者を写し込み、鏡の世界をお互いに無限に写し合う。ずれた鏡に
は、場合によっては通りや空や地面が写り込む。或いは光をスキマに誘う。
スキマの空間には仮設的なランプが、備えられる。隙間の中央に、或いは壁に沿って
吊り下げられるこのランプは、やはりテンション材によって支持されている。スキマ
の地面には、ビー玉のような透過性のある素材が敷き詰められる。地面の下からは、
ライティングが施され、スキマの空間に浮游感を与え、一つの空間として自立させる。
このインスタレーションのスタンディング・ポイントは多様である。三次元のヴェク
トルの全ての方向へ広がる。私たちは通りから、入り込んだスキマから、建物の屋上
から、そしてスキマに向かって開けられた階段の窓、トイレの窓から、<pam-pam>を
体験することができる。のぞき込み、見上げ、見下ろし、普段は開きもしないような
開口部から眺め、身を乗り出す私たちは、あらゆる方向へ誘われ、この隙間を一つの
空間として体験する。

■隙間にスキマを挿入する。
<pam-pam>の生み出す多様なスキマによって、私たちは普段見向きもされない都市
のスキマを獲得することができる。
(山田深+植田曉)
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