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この都市は、まるで船のように微妙なバランスを保ちながら確かにどこかへ、進んでいるようである。常に沈没という危険と向かい合い、ギリギリの所で浮力を保ち、浮き沈みをくり返し水面上にかろうじてその姿を見せている…。この身体一つで街に立ち、改めて周囲を見渡しながら、このような船の像を都市の像に重ねて見てしまう。仮に今、目の当たりにしている都市の一場面をその船の姿だとすれば、
水面は何処に?その乾舷というのはどのくらいの距離があるのか? その下でこの全体を支えている部分を確かめる事、はできないだろうか?
ビルの建ち並ぶこの街の中に、まずその水面に値する場はどこかにあるだろうか?
このプロジェクトで一つの題材にしている建物と建物の間の空間(すきま)というのは、その水面を意識しやすい場なのでは?改めて、ここを含めて街と人の日常を観てみると、見えている場面の中から、ここをなかったものとするような行動をとっているケースが非常に多いのである。無意識の内に、漠然とあるその街のスマートさを維持しようとしているかのようにも見える。不快さゆえに隠ぺいされ視界の外に追いやられたこの場は、時間の経過とともにさらなる不快さをも生み出していたりもする。
街の人の意識下で少なくとも視覚的には街という単位からはずされてしまいつつあるこの場から、街を観、自分の行為を通してこの場について街や人と対話をしてみたい。
『 コダマ 』
コダマとは、音が反響して時間差が生じ、ズレて本人に帰ってくる。あれである。 ここでは、そのズレのスケールを少し替えてみて。例えば、それが長い年月を経て、その音を忘れてしまった頃に自分に跳ね帰ってきたとしたら‥?どうだろう?(到底あり得ない事なのだが!)その時その人は何が起こっているのか必死に確認するだろう。あるいは、それが何であるかも思い出せず確認すらできないかも知れない。それを思い出す事ができた時にはじめて、今という時を確かめ、その場での自身の在り様を実感することができるのではないか。在りし日にある場で解き放たれた「コダマ」は行き先を探さなければならない。その主人のもとに戻るために‥‥‥‥
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