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スキマにかかるクモの巣 柳下朋子 ピリリ...ピリリ...「もしもし?あ、うん、今ねぇ....」 雑踏の中に一歩足を踏み込めば、この音と声。そして誰かの片手に携帯電話を持った姿が当たり 前のように見られる今日この頃。何を隠そう、私もそのケータイを持ち歩くひとりである。 ケータイは今や多くの人々の間で「必需品」と言われるまでになった。インターネットにつながるパソコンもその後に続き、ものすごい勢いで普及している。しかし、必需品とされているわりには、持つ人の個人的な動機が曖昧なものでもある。なきゃ困るってほどでもないけど、一応みんな持ってるし、便利だし。そうやって、それなら私も、僕も、といった具合にどんどんネットワークが広がっている。 「今どうしてる?」 「どこにいるの?」 「別に用はないんだけどさぁ」 「電話出ないから、どうしたのかと思っちゃったよ」 ケータイやメールが普及してから、人々の間でかなり頻繁にこのような言葉がやりとりされるようになったのではないか、と最近気になった。もし、ケータイやパソコンがなければ、言わずにおける一言を気軽に相手に投げかける。送られた側は当たり障りのない返事を返す。そして、そのやり取りを途中でどちらかが放棄したり拒絶したりすることも簡単にできてしまう。故意でやっている場合でなくとも、相手との間にいつしかズレや誤解が入り込んでくる。友人や恋人との距離を埋めてくれるはずの便利なツールが一転して、疑心暗鬼を生み出す恐ろしい装置になってしまうことも少なくないのだ。 相手の時間も自分の時間も、24時間いつでもつながれる状態での生活。完全には信用できない機械を介し、感情を冷凍したような状態でやり取りをする。アドレス帳からは簡単にボタンひとつで、好きな相手を呼び出せる。そして、気軽な人間関係を築くことができるかのような幻想を抱いて、それぞれが自分の番号を持ち、自分がいつ呼び出されてもいいように社会を歩いている。 いつでも誰かとつながっていないと不安になってしまうような現代人の心のスキマ。 そのスキマから見上げた空には、ハイテクなネットワークのクモの巣が、かかっているのではないだろうか。 |