1999年10月(美術の教育・1999あとがきから)



大野一雄さんに会いに行ったときのことである。

駅をおりて御自宅に向かう道に小さなトンネルがあった。コンクリートで固められた半円筒のトンネルを見つめながら歩いている時、ふと大野さんが毎日そこを歩いている姿を想像した。トンネルの向こう側からゆらゆらと漂うように歩いてくるのである。逆光に包まれるようにゆっくりと動いている。地面に接する足の裏の圧力まで感じ取れるような動きである。大野さんの静かな足音が私の呼吸を刻んでいくようである。そのとき一つのことに気付いた。大野さんを想像するだけで心が浄化されるようになるのである。一世紀近くもの間、踊り続けてきた大野さんの優しい表情、動き、言葉を想像するだけで心が落ち着き始める。自分の中のやりきれない苛ちや、社会に対する怒のようなものが瞬間別のエネルギーに変えられてしまうのである。それ以来、どう判断していいか迷うときなど、大野効果に頼ってしまう。大野さんをそっと想うだけで不思議と判断基準が鑑えてくるのである。今の私にとって大野さんをそっと想うことが最も純粋になれる時かもしれない。

インタビューを始める動機は、私自身が受けてきた美術教育に疑問を抱いたところからであった。美術の基礎として教え込まれる石膏デッサンなどのアカデミックな教育制度がいったいどれほどの必然があり行われている事なのだろうか? 来るべき変革の時期に備え具体的アイディアを導き出す作業として現状をリサーチし、この共有事項の問題提起としてのインタビューであった。しかし、フィールドワークを進めるうち、美術界の内側に見える社会より、外側から見える美術のあり方に興味を抱いてきた。人は美術にいかに触れて生きてきたか? 美術はどのように人に影響を与えてきたか? または、与えなかったのか? まだまだ見いだされていない美術の姿を感じ鑑たいという想いが強くなってきた。

椿昇さんいわく「アーティストとは奇跡を起こす仕事」なのである。奇跡に偶然はない。そのためにも「美術」の「教育」をこのインタビューに現れている言葉から読みとり感じてほしい。眠り続ける私達の美意識を目覚めさせることが奇跡の始まりとなるのである。
  
本書は、一九九七年に上野の森美術館で開催した「眠れる森の美術」展で制作発表したインタビュー集「美術と教育・一九九七」の続編として、その後二年間フィールドワーク的にインタビューしてきたものをまとめたものである。インタビュー対象者の決定は、美術だけではなく芸術全般にわたるジャンルで会って話しを聞いてみたいと想う人に企画書を郵送した。結果的に主旨、条件を理解してくださった二十五人の方々のインタビューとなった。個展のため訪れた広島や大阪で現地の人に聞きコーディネイトしてもらいインタビューを行った。計画的に進行させようよ思いつつも流れにまかせ会いたい人にアポイントを取っていった感が強い。

自覚的に人に会い話しをするということがこれほど楽しく、真剣になれるということをますます実感する日々であった。もっといろいろな人とゆっくりと話してみたいと想いは募るばかりである。私の場合あいたい人に会いに行くための勇気は、美術という表現意欲から起きているのかも知れない。もちろん私に会いたい人はいつでも会いに来てほしい。


1999年10月20日 中村政人

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