湯島・お茶の水 湯島もみじ 年表etc... 湯島といえばみなさんは何を思い描きますか?
ここでは、湯島の歴史、この家の歴史を徐々にさぐっていきましょう。

旧湯島 (昭和40年までの町名)

*「和名抄」に、武藏国豊島群湯島郷とあり、また由之万ともある。また、「北国紀行」に由井島とある。

*「文政町方書上」には、湯島の名称はむかし温泉がわいたからとあるが、これは疑問である。不忍池は海であったから、湯島は島のようであったことは考えられる。

*旧湯島1丁目から6丁目までは、中山道の街道筋として古くから開けた古町である。古町とは寛永年間(1624〜44)までに開けた町で、新年には将軍に目通りなどの特典が与えられた。

*旧2丁目には湯島聖堂(現存)、隣の旧3丁目には昌平礦があった。明治になると、師範学校、高等師範学校がおかれ、ここは近大教育の発祥の地となった。


730 天平2年

神田明神、現在の千代田区大手町将門塚周辺に創建。その200年後に平将門公が俵藤太に討たれ、その首が京都で晒されるがこれを奪い返してきて塚を築いて葬り、廷慶2年(1309年)には将門公の霊も相殿に祀り、「神田明神」と名付けたられる。

1608 慶長 八

家康、征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府を開く。
神田台を切り崩し、低湿地帯を埋め立て市街地を開発する
1616 元和 二 徳川家康の江戸城拡張、神田川開削工事のために江戸城の鬼門の守護神として、神田明神が現在地に遷座され、歴代将軍の崇敬厚く神田祭りは天下祭りと呼ばれるようになる。後に桃山風の豪華な社殿が築かれ、歴代の将軍の崇敬も厚く、江戸総鎮守として江戸の庶民にも親しまれてきた。
1632 寛永 九 幕府儒官林羅山、上野忍岡の私邸に孔子を祀る聖堂(現湯島聖堂)を建てる。
五代将軍綱吉は、元禄三年に神田台(湯島)に廟殿を移した。
1690 元禄3 湯島聖堂落成
この湯島聖堂の歴史は儒学に傾倒した五代将軍綱吉が1690年に創建し、孔子を祀る「大成殿」や「学舎」を建て、自らも「論語」の講釈を行うなどして学問の奨励をしたそうです。また、明治維新で新政府の所管となり明治4年には文部省が置かれたほか国立博物館(今の東京上野)、東京師範学校(今の筑波大学)、東京女子師範学校(今の御茶ノ水女子大学)などが置かれ、近代教育発祥の地でもあるそうです。現在は、江戸の大火(4回)、関東大震災などで焼失、再建を繰り返しながら、昭和10年に鉄筋コンクリートで再建されています。ただし、「入徳門」は宝永元年に建てられたものがそのまま残って貴重な文化財になっています。 
1718 享保 三 江戸の人口53万4633人(男38万9918人、女14万4715人)
1881(明治14)年  
1891(明治24)年 ニコライ堂会堂が完成。日本ハリスト正教会の教会堂、正式名称は「日本ハリスト正教会教団復活大聖堂」だが、ニコライ大主教の名にちなみニコライ堂と呼ばれる。
1920(大正09)年  
1923(大正12)年 関東大震災
1924(大正13)年  
1925(大正14)年  
1926(大正15)年  
1927(昭和02)年 聖橋:湯島聖堂とニコライ堂の二つの聖を結んで、昭和2年完成。
1928(昭和03)年  
1930(昭和05)年  
1931(昭和06)年  
1932(昭和07)年  
1941(昭和16)年 太平洋戦争勃発
1945(昭和20)年

太平洋戦争終戦

大家さんのお話では戦後すぐに「湯島もみじ」を買い、住み始めたそうです。

1951(昭和26)年  
1964(昭和39)年 東京オリンピック開催
1967(昭和42)年 十二月都電、荒川線だけとなる
1968(昭和43)年  
1977(昭和52)年  
1985(昭和60)年  
1988(昭和63)年 バブル崩壊で地価高騰
おそらくこの頃から住まわれなくなる。
二階に残されていた荷物を包装していた新聞紙は88年のもの。
1991(平成3)年  
1995(平成7)年 阪神淡路大震災
1997(平成9)年  
1998(平成10)年  
1999(平成11)年  
2000(平成12)年  
2001(平成13)年  
2002(平成14)年 夏、中村さん、申さん夫妻、湯島もみじを訪れる