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▽夜一〇時までですか?

▼うん。小学校六年の時。でね、テーマはね朝鮮の市場やったんですよ。みんなチョゴリ着ながら売ってる…。なぜかその時僕わからなかったんですよ。先生はどうして…。後で考えると彼はそういう民族問題とかを考えて僕らにやらしてたんですよね。それを木版画をするのにほとんど三ヶ月くらい、バンドの鼓笛隊の練習するのに夜一〇時までとか、すごく熱心な先生でね。そこで仕事をやって行くとか美術をやって行くとか覚えた感じしますね。結果的に僕の場合は美術教育どうのこうのというのはないんですね。誰に会うか、単にその人に会ったか会わないかということが大きくて、システムの中では彼は疎外されてたんですよ、すごく。彼は日教組ではないし、江田島の兵学校出身でしょ、そのときはネガティブキャンペーンの対象だったんですよ、彼はね。だから出世もしなかったし、ずっと社会の中で外されてたんです。でも、その中で彼なりの思いとか、今思うと彼が一番未来が見えてた。非常に賢い人でした。

▽そういう先生との出会いというのは他にありますか?

▼ポイント、ポイントに出会ってるんですよ、ここという時に。すごくラッキーだったのは自分がどちらかに動こうとしている時にそういう人が現れる、現われて僕にサジェスチョンしてくれる。

▽現れるというのは椿さんが望んでいるから現れるんでしょうね。

▼それもあると思います。だから、イメージしている時に物理学のこと教えてくれるとか、みんなで天体望遠鏡をつくろうとか。その頃はまだ小学校五年、六年くらいなんだけど、今の子たちと違ってゲームもないし何もない、あの頃は知的スノッブいうか、分からなくてもニーチェ読むみたいのかっこいいみたいな、異常な背伸びをする習慣があったんです。たまたま僕ら団地の第一世代なんですよ。千里に日本で最初の公営団地ができてそこに引っ越したんです、京都の古い家から。そしたらそこにナショナルの部長さんとかいたわけですよ。要するに当時のエリートが住んでたわけですよ。2Kのアパートにエリートが住んでたわけです、あの頃は。そのころ親父が土地当たって、家当たって引っ越したんですけどね。だから寄り集まった仲間が今、京大とか千葉大とか出て医者になったり、小学校の時の仲間が今一番いろんな世界にいますね。

▽今でもお付き合いは?

▼今でも。しょっちゅうやり取りとかはしないですけど、年賀状程度ですけどね、やはり彼らが一番刺激になったというか、その時にみんなで話し合ったことが面白かったですね。ツァラトゥストラを読もうとしたり、ロシア文学にこった時期もあったりとかね、プーシキンとか全然意味分かんないのに、分かったふりしないとかっこわるいとか思っているの、お互いに。

だから僕も生徒に言うんですよ、思いきり背伸びをしてみろって言うんです。出来ないことを出来るって言えって言うんですよ。IMIの研究生なんかにしても自分がもしコンピュータできなくても、いい仕事、おいしい仕事だったら三日後に出来ますって言え、そのかわりその間にすぐ秋葉原ヘ行って今買えるもの買ってそれから三日間寝ないでまがりなりにも何かを出せって言うんですよ。それで、こんなのダメって言われたら「あと三日あったら次ちゃんとして来ます」次のチャンスにつなげる、今できないからと言ってやめてしまうとそこで成長が止まってしまうんですよ。背伸びしろ、背伸びしろみたいな。ある種の小学校の時それから三才の時…。だから逆に言うとその後僕には何もない。恐い話。

▽何もないと言うと…。

 

 

 
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