Home > 美術の教育・1999 > 椿 昇 > 5/11


▽その頃美術っていうのは?

▼非常に、『美術手帖』ばかり見てましたね(笑)『みずゑ』と『美術手帖』しかないんですよ、『みずゑ』なんておじいちゃんが読む雑誌やし、バカ高いし、だからみんな『美術手帖』神様。僕らの時はやっぱりウォーホール、ジャスパーのポップアート…。

▽八〇年代、ニューイメージブームで椿さんはぐっと出てきたようにいわれていますがその辺はどうだったんですか?

▼僕はぐっと出てきたつもりはなくて、ただ、だらだら、まあそういう形だったんだけれども、僕は美術始めた時ミニマルからコンセプチュアルというのがあって、僕が見てた時日本に「もの派」といわれた人達がミニマル風だったんですよ。でも実際違ったわけですよ、ミニマルとかあの方向が破たんするだろうと、七〇年代の終わりには思っててそれはもうないだろうと思ってて。我々はアジアに住んでるんだしあんなことやってても意味ないし、我々もともとモダニズムとかミニマルとかちゃんとあったわけだしね、彼らがコピーしただけなんで、伊勢神宮とか行けばそんなのあったわけだし。西洋のモダニズムの起点は日本からの引用だったのね。バゼリッツにしろリヒターにしろ、日本人がやったっておかしくないでしょ。円空の曾孫がやってたら、ああなるほどみたいな、しっくりいくみたいな。それをパクりでやるだけなんで。何でパクられたかというと僕らに理念がないからでね。ドイツ人みたいにきちんと順序立ててものを継続的にやらないから短絡的になってしまう。それをみてて僕はあの頃ハイエンドなものとか大理石とかそういうジャンクなものでやろうとし始めて、たまたま学校に勤めてたのもあって、紙粘土だけで仕事を始めたんです。一番安かったし、まあ、あれだけ大量だから高かったんですけど。紙粘土と一番粗末な映画館のアジアなんかの壁に描く、「トンボ」っていうブランドの看板用ペンキがあるんですよ。その仕事して信濃橋とかに出してたら、みんなワーワー変やて言い出して。みんながミニマルやってる時代に一人だけアジアの土俗的なチベットみたいな仕事をし始めたんですよ。そのきっかけになったのが、スリランカに旅行したんですよ。セイロン行ったら自分が大学で木村重信なんかに教えられてきたアートって違うじゃないかと…。これは違うぞって思って、日本に帰って来たらスリランカの色が懐かしくなって来て、結局もうほとんど衝動的に紙粘土で何かワーとつくり始めて、スリランカで買って来たシールとか貼って。大竹さんみたいなものですね、旅のショックで全部変わって。

▽大学時代のことちょっと振り返っていただけますか。

▼大学は京芸(京都市立芸術大学)です。大学は中学以上に何もなかったですね。だって先生もみんな逃げていないし、まともに教えてくれないし。洋画入ったんですよ。高校の先生に言われて、洋画なんかとんでもない代物でね。結局そこでも人との出会いで、つまんないからフラフラしてたら、八木一夫さんが拾ってくれて、陶芸の。八木さんが現代美術のこと教えてくれて。現代美術のこと一番よく知ってたのが八木さんなんですよ。堀内さんと辻さんと彫刻と陶芸にあの三人がもう、とっても賢くてね。あとはもう本当にとってもバカだったんですよ(笑)あれはもう大学の先生じゃないんですよ。やっぱり大学の先生がバカだったら大学の先生じゃないし、意味ないからね。彼らのアドバイスがとっても役に立って。でもたいした仕事はしてなくて、ただブラブラしてて…。まあ絵はちょこちょこ描いてましたけどね。

大学の専攻科に入ったんですよ。そのあたりでアメリカの留学生に出会うんですよ、フィリップていう。彼は今やってるような現代美術もうやってましたよね。いま僕たちが見てる現代美術の雛形のようなものはほとんどやってましたね。すごいショック受けて…。彼は鞍馬の山奥にある丸木小屋に住んでて丸木小屋何もないんですけど、いっこだけウルトラマンのお面が壁に掛かってるんですよ、おみやげ物屋で売ってる銀の…。ものすごくかっこよくてね。彼が僕を一番教育してますね、僕よりちょっと年上だったんですけど。今はビジネスマンになって大成功してます。アートを捨ててね…。世界中を旅行してます。彼は冬は日本を離れるんですよ、タイとかプーケットとか行って遊んで夏はまた日本に帰ってくるんですよ。渡り鳥みたいにね。たとえば胃液出して胃液をサンプリングして硯箱みたいなのスチールでつくって、そこに自分の毛髪抜いた筆と、胃液と、そういうような、自分が身体と関わってて。今の身体性は出てましたね。歯とか胃とか、歯の中に入れるシリコンで型とってそういう自分の身体陳列したり、面白いことしてましたよね。才能的に素晴らしいのありましたよ、彼はアート世界の愚かしさみたいのが見えてるから。アートっていうのは愚かしいのが分かってないとできないでしょ。愚かしいのが嫌やったらこんな世界誰もいなくなってしまう(笑)。

 

 

 
Copyright© 2002 Masato Nakamura. All right reserved