Home > 美術の教育・1999 > 椿 昇 > 6/11


▽作品を創り続けられる動機というかエネルギーは、どんなところから来ているのでしょう?

▼結局人との出会いですね。これをしていたからいい人と出会えたという。みんなものをつくっているんですよ、いい人間というのは。いい人間ていうか素敵な人はね。美術に限らないと思うんだけど、それぞれの時にものをつくったりするのを通じて仲良くなったりね。フィリップでもそうだったけど、彼がその世界でお面をアレンジするなんていうのはよその世界ではみれなかったんですよ。どこでもみれない世界で、なんてすごいんだ。アートの世界もそうであるけどやっぱり「デュシャン、なんてすごいんだ」なんてのはあるでしょ。「アインシュタイン、なんてすごいんだ」なんて思いにくいんですよ。複素数と二階微分が分からないと量子力学がどれだけすごいかなんて分からないんですよ。何がすごいかなんて分からない。今から複素数と二階微分を極めて、それで「ああ空間がこうねじれてるんだ、すごい!」と思えるようになるのにはすごい困難を伴うんですよ。でも美術、特にコンテンポラリーアートっていうのはある種思考がダイレクトに変わっていく瞬間をビジュアルが助けてくれる。こんなものは他にないんですよ、ツールとして。だから武満さんの音楽でもそうかも分からない、何かが変わろうとしていることが素人でも分かる。これすごいと思うんです。ビジュアルすごいものだったらセラなんかでもそうなんだけどやっぱりこれは何か違うなと。ダニー・カラバンの仕事でもボルト・ボーのベンヤミンが落ちていくところでも、あれ見た時ベンヤミンがここで何かを思ったんだ、その何かがなんだっていうのを文章にしてもらわなくても直感的に理解するすべがあるって思う、それがビジュアルアートの力強さだと思う。ピピロッティ・リストと昨日会って話してたんだけども、ピピロッティの作品なんかでもガツンとくるでしょう、あれがアートなんだっていうのがあるから。ビジュアルを使うことってのは極めて強力なわけね。数学者が伝えられない同じような理念に辿り着いたとしても見る側がそこまで努力して上がらないと伝わらない、アートの場合も、現代美術の場合ももちろんそうなんですよ。見る側がそうとう勉強しないと分からないんだけれども、その勉強の仕方が数学や物理よりもマシなんじゃないかと思うんですよ。

▽美術の教育制度を変化させたい、もしくはこういう点を新しくするべきだというお考えがありますか?

▼ありますね、今の日本が陥っている最大の欠陥は、真面目すぎるんですよ。真面目すぎるっていうのは非常に害があって結局相手に真面目さを強要してしまうんですよ。真面目って何かって言うと、江戸時代って社会は結構タイトでデモクラシーもないし今よりずっと自由はない。でもシステム的には自由はないけど結構みんなゆるいんですよね。イタズラなんですよね。みんな結構イタズラッ子なんですよ。イタズラを許している所があるんですよ。僕新しいアイデアとか、ドラスティックなものの考え方とかイタズラ心から生まれると思うんです。ちょっと横つついてみるとか。政人さんのマクドナルドのとかある意味でイタズラですよね。ユーモアみたいな、これだけバカなことをこれだけ大金かけてやったという。普通考えたらやらないじゃないですか、常識的に考えても。やっぱりイタズラだからそれが成立するところがあって、だからそのイタズラを許すということでしょうね、小学校のときから。小中高まで「やってみろよ」とイタズラを許してやる仕組み。今の先生はイタズラと悪いことの区別がつかないんですよ。イタズラの次の知的な高揚感につながっていくイタズラの芽を摘むんですよ、だからそれが自らに対する反乱のようにとらえちゃって止めちゃう。イタズラなのか本当に社会的に破壊してしまう逸脱した行為なのかっていう境目で止めてやればいいんですよ。「これは君違うよ、学級破壊につながるからこれ以上はいけないよ」って、これは相手に対して優しさと思いやりが欠けるイタズラだからイジメなんだと、ジョークではないんだ、だからその境目なのね。相手を傷つけるからそれはやってはいけないというのかこれはイタズラだからいいじゃないかというのか。だからユーモアのセンスですよね。ヒューマンでしょう結局。人間性があればイタズラっていうのは我々の社会を発展させる非常に重大なツールになっていくんですよ。そのヒューマンな部分がなくなる社会にはイタズラというのは反社会的な行為に見えちゃうんですよ。そういうウィットみたいなイタズラとかナンセンスであったりをアートの世界は保証してるんですよね。アートの世界はそれを最大限保証してる社会なんですよ。ナンセンスであったり何かおかしなことが成立するということとかをお互いに愛でていくというのかな、面白いイタズラじゃない? そういう協調するものを日本の教育制度が、非常に変な真面目さというか、ノートをきちんと写すとか、それを一番先生に強いてますね。教育大学で先生をつくるときも。先生というのは真面目なのがいいことじゃないですね、それなんにもいいことじゃないですよ。毎日遅刻しない先生がいいことなのか? 遅刻しないでつまらないことばかり言うやつはゴミなんですよ。酒のんでて酒臭くてもすっごく面白いこと言えばいいし。先生の家に行ったらショウジョウバエが無数に飛んでてこんな顔して出てきて「先生、四日間来てないんですけど」っていったら「待ってくれ、今ハエが大変な時期なんだ」「じゃあ、僕たち勉強してますから」「ごめん」とかね。そういうお互いの人間のやさしさでしょうね。これが僕の高校時代にはまだあったんですよ、先生同士のある種、互いの了解事項みたいのが。でも今は非常にギスギスしてて。

 

 

 
Copyright© 2002 Masato Nakamura. All right reserved