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▽具体的に変化させるには…。

▼絶対に僕はその可能性はあると思うんですよ。ハッキリ言ったらその、日本の管理社会です、管理主義。それにつきますね。それが何とかならないと。ベンチャー、ベンチャーって言ってますけど、この日本の教育してたらベンチャーなんて生まれません。同時に同じ学校に行くとか、みんなで一緒に同じことするっていうのをやめさせないと。就学年齢でも義務教育やめちゃう。どこでも行けと。大学入試でもセンター試験でも一番悪いですけども画一化を全部やめることですね。美術館でもアジアが流行ればみんなアジアという、横並び姿勢をみんなやめる。お互いがある人間性という部分の協調性の中で違いをだしていくという、生かしていくことですね、それぞれを。今は外圧でしかできない。外圧で規制緩和してくとか経済でもすべてそうなんです。まさに複雑系でも何でも電子自体の振る舞いもそうなんだけど一定の場所にいないし常に流動化して浮遊するんです。固定化の形を持たないんですよ。今、まさに金融がそうなんですよ。ソロスが書いている金融が面白いんだけども、彼はまさに複雑系の収穫逓増みたいのを一九六〇年代に獲得してるんですよね。彼はそういうアジア人がもともと持っていた風水的なものの考え方、物理学の不確定性原理の延長にあるような、ある種非常に融通の効く世界に信頼性を置いている。日本が今金融で圧倒的に負けてるのは、情報が生で、生き物で常に変容する、決してきちっとはしていないんだ、そういうところで日本は負けてるんです。きちっとする、メモリーをきちっとつくるとか、誤作動しないとか、そういうものだけを追求した結果が今の日本の閉塞感につながってるんですよ。教育も全部一緒なんです、それもやっぱりOSがつくれないとかドラスティックな基礎建築ができないとか、そういうのに全部つながってるんですよね。

▽そういう社会の中で美術の果たせる役割というのはどのようにお考えですか?

▼とにかく、戦いでしょうね。戦いあるのみでしょうね。教育現場でもなんでも、決してよくは思われないし。『美術手帖』にもあんな攻撃的な記事を書いたりするし、実際それをみて兵庫県の美術の先生が講演来てくれって電話もらって。僕は、あんなん書いたらもうニ度と呼ばれないと思ったから。でも逆にあれ読んで元気でたから是非って呼ばれて、教育研究会っていう高校の先生の集まりに初めて呼ばれて行ってそこでお話ししたんです。

▽どうでしたか、反応は…。

▼反応は、やっぱり、みんなうつむきましたね(笑)僕はその…不可能はないと思ってるでんすけど、僕は学校でも決して恵まれた状況ではなかったけどケンカはしないですよ。ニコニコ笑いながら、ちょっとずつちょっとずつやりたいことやってきたわけでして。美術書に関してもすごい蔵書ありますし、クンストフォームとかアートフォーラムとかみんなどんどん入れてくるしね、日本の高校の中では一番いいコレクションになってると思うんです。まあそういうのをつくっていくのに二〇年かけてやってきたから。最初から恵まれていたわけではないんですよ。それで「コンピュータはどうなってるんですかって」ってきいたら「コンピュータはあるんですけど、ソフトを入れたら怒られる」「どうしてですか」「リースだから」って「エクセルとかは入ってるんですけど、美術のソフトは入ってない」って彼らは言うんですよ。で、僕はそこで「こっそり入れたらどうですか」って「いやあ、怒られる」って「誰が怒るの」って聞くと黙るんですよ。結局僕はさっきぎょうさん話ししたけど、行政がわるいって言ってる我々が悪い、やってみればいいんです。こっそりね。「アンインストールって知ってますか」って聞いたら「知らない」っていうんですよ。結局努力しないことを行政のせいにしている現場は山の様にあるということですね。だから実は自分がさぼってるのを文部省のせいにしてる現場の教師がたくさんいる。それはやればできるんですよ、もちろん抵抗もあるでしょうけれど、両方に原因があるんと思うんですけど、だから僕だったらそういうマシーンがあれば非合法的にインストールしますよ。一個だけソフト買って全部にインストールして生徒に使わせて。文句がでたらそこで考えます。でも、文句出るからしないというのはそれ最初から負けてるでしょ。負けてるってことは自分が努力しない責任を行政とか文部省に結局官僚のせいにしているんですよ。

 

 

 

 
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