Home > 美術の教育・1999 > 椿 昇 > 2/11


▽すでにバーチャルリアリティの世界を楽しんでたんですね。

▼スイッチとかも全部描いてね、飛んでる気分になるとかね。結局、体も弱いし友達の所も行けないから独り遊びしなくちゃしょうがなくなって、こういう形で自作するとか。だからそういう時に自分の手でものをつくるという習慣が、きっとついてしまったんでしょうね。お陰で美術に関しては成績が悪かった例しが一度もないんですよ。

▽小学校から?

▼小学校からずっとオール5でね。5以下を取ったことがなく大学まで来たから、大学の入試もデッサン満点やったし、だからできて当然みたいな所があるのね。見たものをそのまま描くのはそんなに難しいことではない。結局記憶が一番強いのは、小学校に上がる前にそれだけ表現力が豊かだったということで、その後は学校の退屈な授業をこなしていただけ。ただ、その頃から科学とか物理の方に興味が行ってしまったので、美術には全く興味がなかったんです。皆無。言われたことをちょちょっとやってたら賞をもらえるみたいな…。

▽かっこいいですね。

▼いや、そういうものだと思い込んでいたから興味がなくてね。友達なんかと天体望遠鏡をつくったりするほうが面白かったから。小学校五年の時、月食があるっていったらみんなで興奮して、通販でレンズだけ買って、段ボールで筒つくって、接眼レンズと対物だけ買って「月見るんや」言うて木に縛り付けて、興奮して見たら、色収差ってことが分からないの。バカやから。対物が単板なんですよ。アクロマートっていって色収差してあるやつがごっつう高いんですよ。子供じゃ買えないんですよ。あの頃で四千円くらいのをみんなでお小遣いを出し合って買ったのかな。みんなでつくった。出来上って覗き込んだ瞬間つくった仲間の雰囲気が険悪になってね。見えないじゃないか、誰が責任とるんや、俺の三カ月分の小遣いはどうなるんや、すごい険悪になってきて、一時それですごく仲たがいして。

▽絵の時間はどうだったんですか?

▼小学校の時の先生がすごく良かったね。海軍の兵学校出た人やっただけども、すごいリベラルな人で、五年、六年と二年連続担任持ってもらったんですよ。彼からアルキメデスとかソクラテスとか三角関数とかそういうもの全部教えてもらいました。黄金率のこととかね。ものすごい高度な教育をしてもらいました。高度というのは知的ということではなく、思考力としてね。あの頃、ベニヤ板の木版画をグループでやらされて毎晩夜一〇時まで学校に残って、考えられへんでしょう?

 

 

 
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