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●藤 浩志 Fuji Hiroshi
1960年 鹿児島県生まれ
京都市立芸術大学大学院工芸科染織専攻修了

 

▽藤さんが学生時代、京都芸大のカリキュラムはいかがでしたか?

▼京都の場合、六〇年代以降の大学改革、学生運動はかなり盛んだったって聞いています。京都市立芸術大学に「構想設計」とかいう不思議な名称の専攻ができたのもその結果だとか。その頃つくられた特に変わったカリキュラムといえば、「総合基礎」という授業でしょうね。京都芸大の美術学部は、工芸コース、造形コース、デザインコースの三つあってそれぞれ定員制で入学して来るんですが、まず半年間全コースの学生が一緒になって四つのクラスに振り分けられる。そこで行われるのが「総合基礎」。日本画から構想設計までいろんな種類のジャンルの先生達が、今までやってきた受験勉強の危険な常識を崩そうと一ヶ月単位でさまざまな課題が与えられるんですよ。それがすっごく面白くて。たとえばスコップを与えられてみんなで一ヶ月間大きな穴を掘り続ける授業とか。「穴をみんなで掘りましょう」みたいなね。で、わかんないわけ。「何? なんでオレ、穴を掘らなくちゃいけないんだろう?」ってね。でも、ひたすら穴を掘っているうちにだんだん問題意識とかが出てくるんですよ。

▽それは「穴を掘る」っていうことに対して学生側には何も説明しなくて、いきなり「穴を掘りましょう」ってなるんですか?

▼ある程度は説明はあります。でもやってみなきゃわかんないものでしょ。体験が重要なんですねきっと。そのシリーズの授業って毎年メニューが変わって、上級生たちも一年生の授業を楽しみに見てたなー。たとえばある年はまだ乗れそうなきれいな廃車が十人単位の各グループに一台ずつ与えられて、一カ月費やして車をとにかく壊す。そんな授業とか。

▽ すごい! そんなのあるの?

▼それをやることに嫌悪感を感じる人もいるし、面白いと感じる人もいるんです。それが大事なんだね。そういうのを体験したがゆえに自分が見えてきて、やっぱり伝統がやりたいとか、やっぱり絵画を追求しなきゃって確信したり、迷いがなくなるのかな。それはそれで大切なことでしょ。逆に僕なんかは何も知らないから楽しいからさぁ、みんなでやる楽しさを知ってしまって、足を踏み外したのかな。たとえば、その「総合基礎」の最後に共同制作っていうのがあるんだけど。それがすごく面白くて人生変わったかな。一クラス三〇人くらいの中で自由にグループをつくるんですよ。メンバーは最低が三人、最高何人でも良くて、自主的に何か共同で作品をつくり夏休みを越えて九月の終わりに発表会を行うっていう授業なんです。しかもちゃんとそれぞれのグループに対して学校から予算がでるわけ。一人一万円ぐらいの予算だったかな? たしか人数が多い方が予算が多かった。僕らは一〇人ぐらいのグループで一〇万円ぐらいの予算で何かやろうってことで話し合って、結局パフォーマンスグループをつくって野外で舞台をやったんだけど、あっ「おにまう」っていうグループ名だったっていうのはどうでもいいか。その共同制作で一緒だったメンバーがそのままスリップしちゃって劇団になったのね。それが学部四年間のほとんどの時間とエネルギーを捧げた「カルマ」っていうクサイ名前の劇団なんだけどね。僕が引退したあと後輩たちが「ダムタイプ」って名前を変えて、ついに「カルマ」は歴史の中で抹殺されてしまったけどね。まあどうでもいいっか。

 

 

 
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