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先生はどういう人でした?
▼それはそれぞれですよ。あんまり興味なかったかな。それよりも学生同士の関係の方が重要でしたね。それぞれ専攻の違う人間が「総合基礎」という不思議なクラスで半年間一緒にいるのが良かったなー。学生の数が少ないっていう状況もあるんだけど。専攻を超えて友達ができるじゃない。彫刻のヤツとかデザインのヤツとか構想設計のヤツとか。工芸科だった僕にとってはとても大切でしたね。油絵のクラスとか彫刻のクラスとかにたまり場ができたりとかしてね。専攻を超えた「たまり場」からいろんなあやしい活動が生まれて展覧会に発展したりとかしてね。そういう人の動きが面白かった。
▽学生時代の当時の教育っていうことでまとめていただくとどうなりますか?
▼学校のカリキュラムとか、僕の感覚ではまったくずれていたからね。僕の場合学校の教育システムとは全然関係ないところで好き勝手にやってたからね。そういう意味では好き勝手やらせてもらえたルーズな学校ではあったよね。制度の面ではね。そうだね。当時の教育をまとめると、「タイトな内容、ルーズなシステム」って感じでしょうか。でもやっぱり面白くなかったよ。
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全然面白そうに聞こえるんですけど。
▼イヤ。面白くなかったのよ! だからこそ教授とか専攻とか関係ないところで自分たちがやらなきゃいけないっていうのがあった。たぶん外にもっと面白い世界があることを知ってたのね。それで閉鎖的な所で作品をつくることに興味がなくなって、自分たちで何か面白いことをやろうとなんだか頑張ってましたね。それを探すことに忙しかったしね。
▽そういう主体性っていうのは個人からのものだと思うのですが?
▼個人のものですよ。やっぱり。キー・パーソンが何人かいますよね。
▽その人の影響を受けてやったりとかっていうことでしょ。すると学校の中で先生に影響されるというよりは友人関係の中でバランスで動いていった。
▼そうでしょうね。あとね、すばらしい反面教師っていうのがたくさんいてね。こうはなりたくないって強く思っていた。まあ若者にありがちな些細な反抗心みたいなものだけど、京都芸大っていう伝統を背負った空気もあったんだろうけどね。そうならないためには他の動きをしなくちゃいけない。それで自分たちでつくっていかなきゃと思ってたのかな。
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