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北日本新聞 2005.04.09
富山新聞 2005.03.18
北日本新聞 2005.02.02
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美術手帖 2004.07.12
北日本新聞 2004.05.20
朝日新聞 2004.04.25
富山新聞 2003.07.31
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北日本新聞 2004年04月09日(木)

 

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富山新聞 2005年03月18日(金)

 

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北日本新聞 2005年02月02日(水)

 

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北日本新聞 2005年01月21日(金)

 

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富山新聞 2004年12月27日(月)

 

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北日本新聞 2004年12月07日(水)

 

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北日本新聞 2004年10月13日(水)

 

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中日新聞 2004年09月16日(木)

 

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美術手帖 2004年 7月号 2004年07月12日(月)

*[002] 美術手帖2004.07号(P190)に永芳リライブが取り上げられました。題は「苦境の老舗旅館が、美術家に再生を託す (談=中村政人+平田淑江)」是非、書店にて手にしてください。以下、美術手帖より引用。

「(前略)中村 - 六年間を見込む永芳閣の再生プロセスアーキテクト。旅館内での前従業員の行為を「プロジェクト」としてとらえ、組織を変え、接遇の改善などさまざまなプロジェクトの立ち上げ準備をしています。その全体が、再生つまり「永芳リライブ」プロジェクト。(後略)」
 

 


 

北日本新聞 2004年05月20日(木)

2004年5月20日北日本新聞(朝刊)に、前日の夕刻より行われた"氷見クリック_vo.1"のプレゼンテーションが紹介されました。(以下、新聞より引用)

氷見の資源 積極的活用を
-東京芸大学院生が市内調査-

来訪者の目から見た氷見市のさまざまな資源の発掘と活用をテーマに、十六日から市内で研究調査してきた東京芸術大学大学院生らのゼミ研究発表会が十九日、同市永芳閣であった。

今回、氷見市を訪れたのは、同大学壁画研究室に属する学生五人。指導する中村政人美術学部助教授が、永芳閣の平田哲朗再生推進委員長と知り合いだった縁で、氷見を題材に選んだ。学生らは知識や経験をいかして、氷見の資源を発掘し、活性化策を提案しようと、滞在中にしない各所を巡った。

発表は、パソコンをくししたプレゼンテーション形式で行い、五人がそれぞれ感じた氷見の魅力や活用策などを紹介。稲積梅の加工や魚の干物づくりなど地元蚕業を生かした体験コーナーの開設や、貝を使ったモザイク画の製作などさまざまな案が出された。学生からは「地元住民が日ごろ見過ごしてている物事についても、積極的に意識し、活用を考えてはどうか」など意見があり、訪れた市民らは刺激を受けていた。高岡短大産業造型学科木材工芸コース専攻の学生らも県内の伝統文化や行事などについて紹介した。


 

朝日新聞 2004年04月25日(日)
2004年4月25日、朝日新聞より引用

 『ブリの宿に救い、富山・氷見の「永芳閣」民事再生決定』

 寒ブリで有名な富山県氷見市の老舗(しにせ)旅館がこの春、顧客や取引業者などの支援で再生への道を歩み始めた。いったん倒産したが、全国の顧客から支援金が寄せられ、民事再生法に基づく再生計画が確定した。担当弁護士は「全国的にも珍しいケース」と驚いている。

 民事再生が決まったのは、1937年創業の料理旅館「永芳閣」。

 富山を代表する老舗旅館で、ブリ大根やブリしゃぶ、ブリの胃袋などの料理で知られ、グルメ漫画で紹介されたこともある。しかし、バブル崩壊後の不況で国内旅行の需要減を受け、業績が低迷。昨年7月に東京地裁に民事再生法の適用を申し立て、倒産した。

 ところが申し立て直後から地元有志や、債権者でもある取引先、旅館の従業員らが支援に動き、同9月に「支援する会」を結成。一口5万円の支援金を募り始めた。

 地元有志が支援に動いた背景には、昨年亡くなった先代社長の伏脇毅さんが全国でセールスをして、ブリなどの氷見の魚が全国に知られるようになった経緯がある。

 会に参加した取引先の鮮魚卸の一人は「観光地・氷見では永芳閣は横綱。横綱のいない相撲には人は来ない」と話す。

 寒ブリの時期に毎年食べに来る常連客もおり、「旅館をなくすわけにはいかない」と顧客からも支援金が送られてきた。今年3月までに150人を超える人たちから、計7500万円が寄せられた。中には100万円単位で送金してきた人もいたという。

 申し立ての代理人を務めた橋本正夫弁護士は「再生計画を立てる上で、支援する会の存在は大きかった」と振り返る。「投資で出資するケースはあっても、善意で集まることなど聞いたことがない。よそでまねをしようとしてもできないだろう」という。

 再生申し立て後も営業は続けてきたが、予約は減って厳しい状況だった。再生計画が決まって、ようやく客足も戻ってきたという。

 倒産当時の社長で、新生「永芳閣」の総支配人になる伏脇聡さん(46)は「一時は旅館として存在していいのか悩んだが、皆さんの期待に応えたい」と話している。

http://www.asahi.com/top/update/photonews/0425/TKY200404250121.html

 

 

富山新聞 2003年07月31日(木)

2003年7月31日富山新聞より引用

氷見の老舗料理旅館、永芳閣が民事再生法申請 負債総額38億円

氷見市阿尾の老舗料理旅館「永芳閣」(伏脇聡代表、従業員六十人)は三十日までに、 東京地裁に民事再生法手続きの開始を申し立て、財産保全決定が下りた。負債総額は帝国 データバンク富山支店、信用交換所富山支社が約三十八億円、東京商工リサーチ富山支店 が約三十九億円とみており、県内では今年最大の負債額となった。

永芳閣は一九三四(昭和九)年、氷見市朝日本町で個人創業した。五六年に法人化し、 七八年に現在地に移転した。能登半島への玄関口として知名度を高め、九三(平成五)年 九月には二十九億円を投じて鉄筋九階建ての新館「天遊」を建設するなど、積極的な事業 展開を行ってきた。

ピーク時の九四年七月期には十三億千七百万円の売り上げを計上したが、個人消費低迷 や阪神大震災の余波、客単価の下落などで業績は悪化。〇二年七月期の売上高は九億四千 六百万円にとどまっていた。今期に入っても業況は回復せず、過去の設備負担が重圧とな ったこともあり、自力再建を断念したとみられる。

債権者説明会は八月一日、高岡市の高岡テクノドームで開かれる。永芳閣はこの日も通常通り営業し、事務所では、伏脇聡社長が金融機関への対応や代理 人との打ち合わせに追われた。伏脇社長は「永芳閣の名前を残し、生き残りを図るため、やむを得ず決断した。私は経 営責任を取りたい」と話した。伏脇社長によると、六月の伏脇毅会長の死去後、経営再建の道を模索していたとし、今 後は営業を続けて従業員の雇用も継続するとした。代理人の関係者は「金融機関との交渉はこれからだ。年間九億円以上の売り上げがあり 、支援者を得て、再生できると確信している」と述べた。土居重信市観光協会長は「氷見の観光業界の顔であっただけにショックだ。一日も早く 経営を立て直してほしい」と再建策に期待を寄せた。また、氷見商工会議所では、永芳閣関連で約五十の出入り業者があるため、近く特別相 談室を設置するとした。

 

http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_today/T20030731004.htm


 


 
 
 
     

 

 
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